私がブランデュー弘前サポになった経緯
私とサッカーの出会い
いきなり壮大に振り返ります
サッカーというスポーツを知ったのは小学生の頃、体育の時間だったでしょうか
ボールをみんなで蹴ってゴールに入れるゲーム、そんな認識だったと思います
そんな私がサッカーを好きになるきっかけは漫画でした
もちろんキャプテン翼!・・・ではなく月刊少年ジャンプに連載していたイレブンという漫画でした
1985年から2000年まで『月刊少年ジャンプ』(集英社)にて連載されたサッカー漫画。 元日本代表のサッカー選手・青葉洋介を父に持つ主人公・青葉茂の成長と活躍を描く物語。無名の存在の主人公が、惜しみない努力で周囲に認められ、新しいステージへ進んでいくといった内容
正に王道サッカー漫画なのですが主人公が陸上から転向し高校からサッカーをはじめるという経緯からルール説明が丁寧で私はこの漫画で大体のサッカーのルールを覚えました!
読んでからは運動音痴なのに小学校の壁にボール蹴りまくったりしてミスってガラスを割るという大惨事を起こしたりしてました
リベロの武田も好きでした!バズーカチャンネル!!!
Jリーグ開幕
そして中学生の頃、Jリーグは華々しく開幕しました
あのサッカーブームは本当にすごかった
どのくらい凄かったってチーム関係ない田舎の子供達ですら贔屓チーム作って勝手にサポーター名乗るくらいには流行ってた
私もブームに乗ってマリノスサポ名乗ってました。井原が好きでユニが青かったからという理由だった・・・
Jリーグチップス買ったりミサンガ付けてみたり中継みたり・・・けどその程度でした。ブームが収縮するにつれて熱も冷め、他の趣味もあった私は代表戦みる程度になったのです
W杯と長いにわか時代
それからは細々とサッカーが好きという状態が続きました
要するに代表好き。代表戦をみる、ニュースステーション(久米時代)のサッカーコーナーを見る、スーパーサッカーを見る、その程度ではあるけどそれなりに好きという時代
そして訪れた日韓W杯。もうテレビで見れる試合は全部見たってレベルで見まくった
海外選手にも魅了され、お気に入りはブラジルのロベカルやウルグアイのレコバ
あの日本のスタジアムが熱狂の渦に巻き込まれてる光景は本当にうらやましかったのはずっと心に残っていた
でも地元にJリーグのクラブなんてない、目指すクラブの存在も知らない、青森県のサッカーなんて青森山田しかないと思ってた。そんな時代でした
そしてインターネットが我が家にも開通しテレビでのサッカー観戦にネットのうんちくを見る機会が増えた
サッカー雑誌読んだことない私には中々新鮮で広い世界をみれて面白かった
やる夫で学ぶJリーグの旅との出会い
思いっきり時間は流れ、2011年震災直前、ある一つのやる夫スレが誕生しました
泳ぐやる夫シアター管理人作・やる夫で学ぶJリーグの旅である
ちなみにまとめページの見出し絵は私が支援絵として投下した絵です
丁度出産直後で子供を見守りながら読むものとしてやる夫スレは本当にありがたい存在だった。そんなときに見つけたスレがこれだった
サッカーは好き、Jリーグも興味はあるけどよくわからない
そんな私にとってJ1J2のクラブを一つ一つ紹介するこのスレで語られる内容は本当に魅力的だった
印象的だったのが鹿島、浦和、ヴェルディ、甲府、新潟あたりだろうか
特にヴァンフォーレ甲府、J2が出来てやたらクラブが増えたのは知ってたがその経営のモデルケースとも言えるこのクラブの存在を私はこのスレで初めて知った
田舎でもやれるのか、という衝撃
そして青森県にJを目指すクラブはないのかとすぐさま調べました
そこで出てきたのがヴァンラーレ八戸、ラインメール青森、そしてリベロ津軽でした
しかしリベロはJを目指すというより地元に根付くスポーツクラブという面が大きくJを目指す雰囲気はそこまで感じず、かといって津軽厨の私が青森や八戸に入れ込むまではいかないかな、という感じでした
そして2012年5月、あるニュースが飛び込んできました
ブランデュー弘前FC誕生
なんと弘前に本格的にJリーグを目指すクラブが誕生しました
やる夫スレを読んでJリーグが好きになって憧れて、そのタイミングでの発足
タイムリーなことこの上なかったんです
そんなわけで色々とチェックはし始めたんですが・・・私にはまだ1歳の赤ん坊がおりました
正直サッカー観戦したことない私には赤ん坊連れて競技場に行くのがどれほどの負担かよくわからなかったんです
なのでネットで結果だけはチェックするという日々がしばらく続きました
初観戦
娘が3歳になり、オムツも外れてある程度連れまわせるくらいになった頃、ブランデュー弘前は3年目、東北2部リーグ二年目でした
街中でポスターの絶対昇格の文字を見るたびに行きたいけどなかなか踏ん切りがつかない中、晴れたある日実家の母と娘を連れて初観戦に行くことになりました
まだスタグルも無く、子供に缶バッジ塗り絵とか試供品の入場者プレゼントとか試合の点数を当てて景品を貰う企画とか色々やってました
試合は快勝、中々面白かったし子連れでも意外と大丈夫じゃん!とその場でサポーターズクラブ入会し、その後岩木山の試合も行きました
そして次の年、試練の東北1部リーグ一年目・・・その年のはじめに妊娠しました
なのでそう何度も行けず、チームは低迷し、そして私は出産へ・・・
せっかく近づいたのにちょっと離れてしまった残念な年になってしまいました
本格的にサポーターに目覚める
本格的にサポーターになろう、そう思ったのは出産後、会社に書類を提出に行ったときにことです
用事を済ませて帰ろうとしたとき、社長と一緒にお客さんが会社から出てきました
その人はブランデューのトートバッグを持ってたんです
そう、営業の方がウチの会社にもいらっしゃってたんです
正直びっくりしました。ウチにも営業来てるんだと・・・
それで営業の方と話をしてみたり少しだけファンミに顔を出してみたり、ネットでもっと深く情報を漁り始めました
そのとき見つけたのがJFAのサイトにあったこの黒部理事長の対談記事でした
チェンジメーカー 第15回 黒部能史(くろべ・よしふみ) 特定非営利活動法人リベロ津軽SC理事・特定非営利活動法人弘前Jスポーツプロジェクト理事長 | JFA|公益財団法人日本サッカー協会
私がじーんと胸に来たのがここです
黒部:まず、これからやっていきたいことは、仲間づくりですね。少子化で、リベロ津軽も当然、子どもたちが少なくなってきています。かといって、活動を縮小させるわけにもいかない。周辺市町村では、学校の統廃合があったりとか、スポ少の指導者がいないとか、活動できなくなる団体がでてきています。そういった問題を、ひとつひとつ助けてあげられるクラブづくり、仲間づくりをしていかなければいけないのかなと思っています。
で、弘前Jスポーツプロジェクトも同じなんですけど、地域密着っていうこと・・・
地域の困っていることをどうやって解決していくかってことをもうちょっと真剣に考えなくちゃいけないのかな、と。それが、プロチームをつくることの意味はなんなの?ってことだと思うんですけど。つくること自体が目的じゃないし、プロチームは所詮、ひとつの道具、手段でしかない。目的の本質っていうのは弘前の街づくりなんですね。街の活性化だったりとか、人づくりにつながっていくことをしていこうと考えています。最終的には、それが僕らの本業の商売に跳ね返ってくるわけですから。元気いいところには人が集まってきますし、住みやすいところは子どもが増えてくる。そうなると街がよくなってくる。そんなサイクルをスポーツでつくっていきたいなって思いますね。
月並みなことばで「地域のみなさまに愛されるチームになります、目指します」っていいますけど、僕からいわせるとそれは逆で、今そこにある問題、地元の自治体や地域が抱えている問題解決を僕らが率先してやるから愛されるんであって、それができなければ、たとえ、いくら有名選手がいてサイン会やってワーッて人が来ても、その時、その場だけはいいかもしれないけども、本当に愛されるチームにはならない。
地元を愛するクラブ、チームだからこそ、人に愛される。そういうクラブになっていきたいなって。まずは、この地元を愛することから始めたいと思っています。僕自身、大好きなので、この弘前が。Jスポーツプロジェクトを一緒に立ち上げて運営しているメンバーは商工会議所とか青年会議所とかのメンバーで、みんな、弘前のことが大好きなので。ただスポーツだけやって、ワーッて楽しんで終わりじゃなくて、地元の問題を解決する手段としてこのクラブがあるんだよって。そういう形にしたいって思いが、みんなに、ありますね。
そこを追求していけば愛されるようになるんじゃないかなと。まずは与えることから始めたいですね。
このクラブの目標はJリーグじゃないんだ、サッカーを通じた弘前の活性化を目指してるんだ、と
そして私は思いました、このクラブを支える人になりたい、と。
2016年、私は本格的にブランデューサポーターになりました
2015年はサボってしまったサポータークラブ入会、ツイッターアカウントでの情報収集や発信、キックオフミーティングの参加、ウチの新聞を東奥日報から陸奥新報に切り替え、レプユニの購入、ゲーフラや横断幕の作成、会社にパートナーになるよう掛け合ってみる・・・考える限りのことはやってみています
大変だけど、これがまた楽しい!
勇気を出して踏み込めばサッカーを通じた交流ってこんなに楽しいんだと感激しました・・・
しかし私には2人の子供がいるのでまだあまり自由には動けません
でも出来る限りの力を、ブランデュー弘前に捧げたいと思います
がんばれ、ブランデュー弘前!